総てを癒すもの

第4章 「力演」(4)

作者:ゆんぞ 
更新:2005-01-24

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騎士達が手袋と格闘している間にエリザは立ち上がり、後ろに数歩退いていた。手袋から抜けた二人は彼女に詰め寄ろうと駆け出すが、エリザは軽く手で制する。その次の瞬間、彼らの前の地面が音を立てて爆ぜる。
「決闘の前に見て頂きたいものがあります。そこで待っていて下さい」
そう言ってエリザは直立の姿勢になり、深く息をついて目を閉じる。何を見せる気なのか彼等には見当も付かないが、駄目だと言って聞く状況でもなさそうだ。二人の騎士は互いに目を見合わせ首を傾げつつも、仕方なくそのまま待機する。

そんな二人の前で、巨人の治癒術師は徐々に前へと進み始めた。そう思って足元を見てみるものの、足元の靴は全く動いていない。違和感があることには彼等もすぐに気づいたが、その理由が判った頃には 巨人の姿は前の倍程度にまでなっていた。

そう、巨人は更に大きくなっている。皆が呆然と見守る中、ついには彼女のスカートの裾が二人の上を覆ってしまった。もはや相手の全貌を掴むことなど不可能だが、正面にある黒い長靴の爪先だけでも彼らの背丈よりもだいぶ高いようで、足の甲に当たる部分を見ることさえできない。それでもなお爪先はまだ彼らの方に延びて来ており、彼らは何も反応できず ただ彼女が大きくなるのを止めるまで呆然と待つしかなかった。


体の拡がる感覚が収まったところでエリザは目を開け、周囲を見渡してみる。前方の低い丘は裏手まで見え、さらにその向こうにある海まで見える。比べる対象が無いので正確な大きさは判らないが、苛立ちもあってか以前よりも大きくなっているのかもしれない。

吐息が下に行かないように上を向いてから一息付き、今度は地面を見下ろしてみた。国境の柵は一歩先にあるが、ただでさえ簡素なそれは今や茶色の線でしかない。道と交差する辺りには指先ほどの小屋があり、さらによく見てみると小屋の近くには兵士たちの姿が黒い点として見える。

とすると、肝心の騎士二人はどこに行ったのだろうか。足元を見てもその姿は見当たらない。何かの折りに吹き飛ばしてしまったのではないかと焦るが、それなら他の兵士たちも吹き飛んでいるはずだ。そう思い直したエリザがゆっくりとスカートを引くと、ようやくその下から二人が姿を表した。穿った穴と盛土の側に居ることから、動いてはいないようだ。

一方、騎士たちから見ることができるのは巨人の長靴だけだ。大陸に渡る帆船より大きいであろうその黒い靴は、彼女のちょっとした動作にも反応しているのか 何度も不気味な音を立てて沈む。さらに爪先が一際大きく沈んだかと思うと、周囲が突然明るくなり、上から吹く風が二人を撫でる。何事かと見上げる二人だが、兜が邪魔になって巨人の腰あたりまでしか視界に入れることができない。彼女の顔を見るためオーヴェンドラットは後ろに下がろうとするが、遠近感が掴めない状態で上を向いたままなので足取りはおぼつかない。案の定 四~五歩ほどで後ろに倒れ、尻餅ついてしまった。
「あっ、大丈夫ですか?」
降って来る声も大きく、天地が共鳴しているかのように響き渡る。その声量に身を縮こまらせたオーヴェンドラットだが、すぐに後ろ手をつき上半身を寝かせて顔を上げる。それによってやっと見えた巨人の顔は 遥か上方から不安そうに彼を凝視しており、そして更に大きくなりつつある。
「まっ、まさはまだ……」
つい思考が声として、しかも舌が動かないまま漏れてしまう。

だが今度は逆の意味での勘違い、エリザは単にしゃがんだだけだった。更に背を丸めて顎が膝の高さに来るまで屈むと二人の様子がよく分かる。半ば寝っ転がって滑舌さえ不確かな緑の騎士に、左後と上を交互に見やっている赤の騎士。真上からでは ゆらゆらと動く兜の羽根飾りしか見えないが、それだけで慌てぶりを表すには十分だ。

さっきまで頑として譲らなかった相手がこうも狼狽えているのを見ると、彼女の心にも余裕のようなものが出てくる。力で対抗するのは苦汁の選択だったが、彼等に対しては意外と有効なのかもしれない。怪我を負わせていないこともあり、心配そうな表情も いつの間にか少しだけ悪戯っぽい微笑みへと変わっていた。
「それくらい声が出せれば大丈夫ですね」
エリザは敢えて普段の声量で話しかける。そして少し間を置き、彼女は顔を赤くしながら付け加えた。
「お、乙女のスカートを覗くなんて、破廉恥ですよ。騎士様」

エリザは顔を紅らめたまま反応を待つが、騎士達からは反駁どころか喋る気配さえ見えない。それだけ堪えているのだろう。しかし、彼らの首を縦に振らせるには良い機会でもある。
「えっと。とにかく喧嘩は止めて、話で決着を付けて欲しいんです。それさえ守って頂けるなら決闘の話は取り下げますが……」
取って付けた様な物言いに対し、やはり反応は無い。
躊躇いを感じつつもエリザは右手の人差し指をのばし、オーヴェンドラットの背中に後ろからそっと触れる。

だが触れられた側にとって、それは暖かく柔らかい『壁』だ。
「わっ!」
悲鳴を挙げて飛び退き、見上げて、さらに右上に聳える砦のような塊を見て、ようやく彼はそれが――目の前にある高さ一丈ほどの壁が――指であることを理解した。

飛び退いた小さな騎士から安堵の溜息が漏れるのを見て、エリザは小声で尋ねる。
「大丈夫ですか? 反応が無いから心配していたんですよ」
その問いに対し、緑の騎士は再び体を傾けつつ見上げ、腕を挙げて応える。怠そうな様子だが、触れたときの感触からも怪我等は無さそうだ。隣の赤い騎士も彼女の顔を見上げるためか、胡座をかいて腕を後ろに張っている。この分なら話を進めても良いだろう。
「じゃあ、もう一度言います」
エリザはさっきの話を再度言って聞かせる。決着は話で付けて欲しい、それさえ守るなら決闘の話は取り下げると。
「ですが、あくまでも決闘を受けると仰るのでしたら……」
不意に彼女は言葉を詰まらせ、眉尻を下げる。
「お願いします。力を見せたり、闘ったり……そんなこと私はしたくないんです」
そこまで言ってエリザは軽く頭を下げ、騎士二人の反応を待つ。丘のように巨大な少女が身を一杯に屈めて小さな騎士に懇願する図は不自然で滑稽にさえ見えるが、当の本人は真剣そのものだ。

二人の騎士は座ったまま再び互いを見合わせる。
「どうする?」
「どうするって……まあ」
決闘を邪魔したかと思えば自ら決闘を申し入れたり、それで更に大きくなったかと思えば力を使わせないで欲しいと懇願したり。巨大な少女の言動は矛盾に満ちている。
だが、二人の戦いを止めようとしている点だけはは終始一貫しており、つまりは それだけ必死と言える。
「ここで否めば どうなると思う?」
レイドヴィックが低い声でぼそりと問う。
「彼女は恐らく手段を選ばぬぞ。癒し手だから我々を傷つけることは無いだろうが……」
そこで彼は後ろ手を付いて見上げる。オーヴェンドラットもつられて見上げると、巨人は悲しそうな目で二人を凝視している。大きさと相まって、それだけで射抜かれそうな迫力だ。
「あんなでかいのに泣きつかれてでもしてみろ、厄介だぞ」
苦笑交じりにレイドヴィックは言う。だがオーヴェンドラットはそれに応えず、エリザの方を見上げたままだ。

そして彼は不意に声を発する。
「そこまで、己の力を忌避するのは何故だ?」
突然の問いにエリザは少し驚いた様子だったが、すぐ真顔になって答える。
「それは、大きすぎるからです。この力が余りにも」
「まあ、確かにな」
見上げるにも苦労する巨躯に、空気そのものを振動させるような声。大きすぎるという点に異論は無い。
「だが忌み嫌うほどの力なのか? 巧く使えば より多くを従え、護る力にはならんのか?」
「そうですね、でも恐怖を与えてしまいますから。それに、誰かを癒したり護ったりするならまだしも、従えるつもりはありません」
軽く首を横に振りながら答える。
「そう言いながら、貴方は今この大きさになっているが」
「それは……」
痛いところを衝かれ、エリザは言葉を詰まらせ、視線を落とす。
だがオーヴェンドラットはそれ以上突っ込まず、
「まあよい」
と制する。先にレイドヴィックが言ってた辺りが答えであろうから、追求する意味は無い。
だがそれはあくまでも彼女の事情だ。相手の心情として理解は出来るが、それに自分が従うにはまだ足りない。話に聞くだけでは駄目だ、やはり……。

腕を組んで黙ってしまうオーヴェンドラット。その様子をエリザは心配そうに伺っていたが、不意に彼は上に向き直る。
「もし良ければ見せてくれないか? 自ら忌み嫌うほどの力を」
反応を推し量りつつゆっくりとした口調で請うオーヴェンドラットだが、対するエリザは不思議なものを見るかのようにじっと彼を見下ろし、素早く何度か瞬きをするのみ。

その実、エリザは悩みと疑問を抱いていた。出来れば力を見せることなど避けたいが、力を見せろと言うわりにはこの騎士の態度が妙に大人しい。さっきまでの彼ならもっと挑発しそうなものだが、どうしたのだろうか。

少し考えたものの 答えは出そうにないので、彼女は真意を問うことにした。
「えっと。どうしてそんなことを頼むんです?」
責めていると取られないよう注意しつつ尋ねる。
しかし待っても反応がないため、慌てて彼女は言葉を取り繕う。
「いや、あの。純粋に疑問なんです。教えて頂けませんか?」
「あ、うむ」
とりあえず了解の意味を込めて短く返す。それからやや間を開けて、オーヴェンドラットは 彼らしくない自信のなさそうな口調で答える。
「私には解らんのだ。自らの力を忌み嫌うなど」
「そ、そうなんですか」
とりあえず相槌のような言葉を返し、エリザは考え始める。

力の怖さを知らない。何だか能天気にも聞こえる発言だ。
しかし、この男は長く闘争の中に身を置いていた。恐らく、その中で力ばかりを求められてきたから怖さを知らないのかもしれない。そういえば彼女自身もまた癒し手としての力不足を悔いることが多かったし、今この力で多くの人を助けられるのは素直に良いことだと考えている。

根の部分で不意に共通点が見つかってしまい、エリザは思わず軽く頷いてしまう。この男は力のみを信じるか、それ以外のものを受け入れるのか迷っている。自分もまた、反魂が何故恐ろしい術なのか師に問うたではないか。
とすれば、今度は自分が答える番なのだろう。もしかすると因果なのかもしれない。

考えが纏まったところでエリザは改めて視線をオーヴェンドラットに戻す。
「わかりました、やります」
そう答え、彼女は大きく頷いた。


エリザはまず、二人の前の地面に人差し指を突き刺す。線を引いて二人に危険が及ばないようにするつもりだったのだが、地面は思いのほか柔らかく、彼女の指を第二関節まで飲み込んでしまった。

このことにはエリザ自身も驚いたが、もっと驚いたのは沈んだ指と彼女の顔を交互に見ている騎士達である。大樹の幹ほどある人差し指があっと言う間に沈んでしまう様を間近で見せられたのだから。
「あ、あの……線を引きますから、ここから先に来ないで下さいね」
彼女はあわてて言い繕い、力を抜いて指関節半分くらいの深さで線を引いて行く。だがそれでさえ、重い音と共に地面を抉って出来る溝は幅・深さ共に二尋ほどで、ちょっとした城の堀に匹敵する。

「良いのか?」
レイドヴィックが苦笑混じりに尋ねると、オーヴェンドラットは胸を張って応じる。
「当然だ。怖気づいたか?」
緑の騎士はあくまでも強気だ。答えた上で小馬鹿にするところなど いかにもこの男らしい。レイドヴィックはため息をつき、首を小さく横に振る。

そんなやり取りをよそに エリザは後方を確認してからゆっくり立ち上がり、左足を慎重に半歩後ろへ下げる。それだけでも、体を持ち上げる反動や右足への重心移動、左足の着地や体重を両足に分散させるまで一つ一つの挙動すべてに柔らかい地面は一々応じてくれる。その感触や音から新雪を思い出した彼女は、初夏にも関わらず雪を想起している自分が可笑しくてつい笑みをこぼしてしまう。

とはいえ、周囲の人達 とりわけ真ん前に居る二人にとってはそれどころではないだろう。たとえ自ら志願したとしてもだ。すぐに彼女は真顔に戻り、下を見て尋ねる。
「あのお、大丈夫です……よね?」
「大丈夫だ。さっさとやれ!」
同じ質問を二人から受け、緑の騎士は苛立った声を返した。


まだ多少の躊躇はあるものの、意を決してエリザは右足を僅かに後ろへ下げる。
「この場所に、足を踏み降ろします」
言いながら右足を指さし、少し俯いて台詞を継ぐ。
「絶対に、動かないでくださいね」
堀があるから動こうにも動けないのだが。そう思いつつも二人の騎士は頷き、それを見届けたエリザはゆっくりと右足を上げる。

しかしその右足は踝の高さで止まり、上がる時と同様の遅さで着地する。
これでは力を見せたことにならない。疑問に思った二人だが、彼等が問いただすより前にエリザは「すみません」と切り出す。
「何か飛ぶかも知れませんから、盾を構えて頂けますか?」
なんだ、そういうことか。そう言いたげに騎士達は肩を落とし、鷹揚な動作で盾を背中から外して構える。

しかし、彼等の準備が終わっても巨人は足を上げず、ただ怪訝そうに見下ろしているだけだ。
彼女から見た二人の盾は余りに小さく、ちょっとした砂粒くらいしか防げそうにない。また彼等自身も小さいため、もし土砂が跳ねたりしたら その重量で体ごと打ち倒されそうだ。

考えを纏めたエリザはおもむろに右の人差し指を出す。
「えーと。ちょっと、失礼しますね」
そう言って彼女は左手で後ろ髪を前に寄せてから上半身を屈め、右手の人差し指で堀を二回押す。その結果、二人の前には身を隠せる程度の土塁が築かれた。

指であっさり土塁を築く力に騎士達が唖然としているのを余所に、彼女は独り満足そうに頷く。これで何か飛んだとしても大丈夫だ。
しかし飛来物こそ防げるものの、地面を踏みしめたときの音はどうなるか。
「えっと、音もかなり出ると思いますから、耳を塞いで下さい」
再び注意を促すと、二人の騎士は盾を置いてから耳を両手で塞ぐ。

これなら安心と思ったエリザだが、直ぐに別の懸念が思い浮かんでしまう。
「振動も大きくなると思います。転ばないように座っていて下さいね」
「それに、風とか埃も行くでしょうから……」
「くどい!」
ついにオーヴェンドラットから怒号が出てしまった。
「注意は聞き飽きた、早く始めろ」
幾分呆れた口調で彼は続ける。だが心配事の尽きないエリザは承諾しない。
「いえ。ですけど、やっぱり心配ですから……」
消え入りそうな声で反論する。それに対してオーヴェンドラッドは言葉も出ず、もどかしそうに腕を激しく上下に降るばかりだ。
そんな様子にレイドヴィックは苦笑していた。この癒し手の娘、巨躯の割に弱々しい態度だが 人を傷つけないことに関してだけは恐ろしく――たぶんオーヴェンドラットより数段頑固だ。だが放置するのも面倒なので、彼は上を向いて助け船を出す。
「気を遣ってくれるのは嬉しいのだが、過度の弱者扱いは失礼だぞ」
その言葉にエリザは目を見開き、軽く息を飲む。相手が騎士であるということを忘れていたようだ。
「ご、ごめんなさい」
上ずった声と共に頭を深々と下げるエリザ。それでさえ彼女の爪先は幾らか沈み、空気の流れが二人の騎士を撫でる。


「じゃあ、行きますね」
ゆっくり宣言するエリザに普段の優しい笑みは無く、真剣な眼差しで見下ろしている。胸に手を当てて深呼吸。落ち着いたところでゆっくり右足を上げ、膝の辺りで止める。
「この高さから下ろします」
「わかったから早くしろ」
応えるオーヴェンドラットは既に投げやりな口調だ。焦らすことで恐怖を煽っているのかと妙な勘ぐりさえ抱きつつある。

だがそんな気も知らないエリザは あくまでも慎重に狙いを定め、そしてもう一度深呼吸してから一気に踏み降ろす。

着地の瞬間に備えて身構える二人の騎士だったが、着地より前にまず巨人の足に圧縮された空気が横殴りの突風となって彼等を襲う。そして想定外の暴風によろめいたところで着地。轟音と共に大地が激しく上下に揺さぶられ、その反動で二人は空中に放り上げられてしまう。

放り出されることもまたレイドヴィックの予想以上だったが、空中なら振動を感じることは無い。僅かにできた余裕で周囲を見渡すと、土色の壁が彼の視点より上にあり、それが津波のように迫って来ている。
このままでは飲み込まれる。土砂の動きは遅いが、体もまた動かない。土壁はあくまでゆっくりと、音さえなく襲いかかる。動く眼球を方々に巡らせると、緑の騎士も同様に宙を舞い、土砂に対して腕を突っ張っている。

そのとき背中と後頭部に突然の鈍痛が走り、視界が暗転する。それでも痛みを堪えて目を開けると、写ったのは巨大な何かに分断された青い空。そして下から現れ、急速に視界を覆う黒い……。
(もう駄目か)
レイドヴィックは咄嗟に両手を顔の前で交差させ、目を閉じる。
最初に降って来た飛礫はどうにか防げるが、直ぐに大量の暖かい土が覆い被さる。その重みは彼の腕を押し下げ、胴体にのしかかり、体躯を地面に強く押し付ける。

音もない闇の中でレイドヴィックの意識は徐々に薄れていった。


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