総てを癒すもの

第3章 「再会」(6)

作者:ゆんぞ 
更新:2003-11-05

[前に戻る] [次を読む] [トップに戻る]

それからローンハイムはエリザに御霊を呼ぶ言霊の基礎を教え、それを用いた簡単な術を幾つか行使させる。

風を起こしたり、炎や水を出したり、土を思いの形に固めて摘まみ上げてみたり……基本的とはいえ それらの術が余りにもあっさりと成功してしまう様子に、ローンハイムもやや驚いていた。人にして御霊の性質を備えた者たちを『妖精』になぞらえることもあったが、今の彼女はそれに近いのかもしれない。ただ、それを口に出すのは憚られたので、弟子には別の表現で伝える。
(やはり大きさのぶん、感性と魔力に満ちておるのじゃろうな)
(ええ。そう、ですね……)
エリザもまた、これだけ自然に術が使えることに違和感を感じているようだった。その困惑を感じ取った師匠は、努めて明るい声で諭す。
(なぁに。生き死にさえ絡まねば、奇跡じゃのうて『高度な術』で片がつくわい)
(え、ええ……)
(まあ、余り気にするな……それより、言霊とその組み方を学ばねばならぬじゃろう)
諭す途中でローンハイムは何を思い出したのか、早口で言葉を継ぐと肩から下げた鞄をまさぐりはじめる。ややあって彼が取り出したのは、羊皮紙の束だった。
(渡し忘れるところじゃったわい。こんなこともあろうかと、帳面に言霊を纏めておいたのじゃよ)
書を掲げ自信満々に言う老師だが、直ぐに彼は五寸四方の紙束が弟子にどう見えるかに気づいた。今のエリザにとって その紙束は白い点でしかなく、いくら感覚が鋭くなっていると言っても書かれている文字を読むのは不可能だ。
(あの……後で、拝見しますね)
ぎこちない笑みを浮かべながら彼女はそう答えた。


操霊の基本はほぼ行使し終わり、日も傾き掛けている。帰路を考えればそろそろ頃合いと言えそうだった。エリザは元の大きさに戻り、師匠を掌に乗せたままバラムの街まで歩いて帰る。

街では夕の市が開かれていたが、巨大娘の帰還に伴って何人かは早々と荷を畳んで家の中に引っ込んでしまった。まだ市を開いている者も皆一様に怯えた目で見上げている。街に近づきながらでもその様子は解ったが、エリザはあえて彼らを見ずに歩調を保ったまま街壁の側まで寄り、それから少しだけ寂しそうな笑顔と共に言う。
「あの。街には入りませんから、安心してくださいね」
その言葉を意外に思ったのか、彼女を見上げる幾つかの顔に疑問符が混じる。それを察したエリザは一呼吸おいてから説明を始める。
「だって、ほら。埃だって立っちゃいますし、市の間は人が多くて色々危険ですし……」
科白の途中で彼女は軽く目を伏せ、だがすぐに視線を戻して言い添える。
「それに、やっぱり皆さん怖いと思いますから」
弱々しく言う巨大少女に何と言って返せばよいのか。残っていた住民にも答えは出せず、ただ俯き加減のまま仕事に戻ることしかできない。

どちらにとっても話を切り出し難い雰囲気。それを破ったのは、街壁に出る扉を開けるけたたましい音だった。駆けて来た数人が親しい者だったからか、エリザの表情がぱっと明るくなる。
「あ、こんにちは」
「おう」
しゃがんで挨拶する声も、さっきと異なり明るい。変わり身の早さに苦笑いしながらも、グランゼルは手を上げて応え そして尋ねる。
「術の練習はどうだった?」
「え? ええ、まあ」
エリザはやや曖昧に答え、そして左掌を街壁の側までそっと下ろす。掌に乗っていた老人は 一尺たらずの溝をやや危なげな歩調で渡ると、集まっている面々に対して簡単に説明する。
「まあ、上々じゃったと言ってよかろう。一介の治癒術師として、かなりの活躍を期待出来そうじゃの」
『一介の治癒術師として』という部分に力が籠もっているのは、一人の治癒術師という本分を越えないことを含めてのことだろう。そう思ってエリザはゆっくりと頷くものの、彼女が見渡す限りでは師の意図を読み取った者は他にいないようだ。となれば、やはり自らの言動で示すしかない。
「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」
しばしの沈黙の後、エリザはそう言って掌をグランゼルの前に差し出し、彼に乗るよう促す。グランゼルがやや重い足取りで一尺ほどの段差を上ったのを見てから 彼女はゆっくりと立ち上がり、
「どうも、お世話になりました」
お辞儀と共に礼を言う。頭を上げてから改めて街の中を見てみると、帽子のつばをちょっと上げて会釈している市民と目が合う。なんだか嬉しくなったエリザは微笑み、そして想いを一気に吐いた。
「また来ますね。今度は……今度は皆さんのお役に立って見せますから」
「もう立ってるよっ」
街壁のフレイアからすかさず突っ込みが入る。巨大な治癒術師の視線が自分の方に下りるのを待ってから、さらにもう一言。
「だけどこっちも、今度は辛気くさくない迎え方をしたいね。宿六も少しは反省しているようだし」
隣にいるブラドゥを拳でつつくフレイアに、当のブラドゥも「おい、おまえ……」と困惑気味だ。
「えっ……そうだったんですか?」
いきなり漏れた事実に驚きを隠せないエリザ。だが彼女は直ぐに楽しそうな笑みを浮かべ、付け加える。
「でも、とてもお似合いの夫婦だと思いますよ」
「どこがだっ」
「何でだよっ」
即座に二人から反駁の声が挙がる。
しかし、期せずして声が重なったことに周囲から笑いが漏れ、二人は渋面を浮かべながら互いの顔を一瞥するしかなかった。


山を越えてリーデアルドに帰るエリザの足取りは、昨日とうってかわって軽かった。やりたいと思っていたことがやっと出来たし、何より今日は話し相手がいる。
「本当に、今日はありがとうございました」
掌で包んでいるグランゼルに礼を言うのも これで何度目だろうか。だが彼女にとって、道中の孤独を癒してくれる同行者の存在はそれだけで嬉しいものだ。しかし当のグランゼルは掌の中で身を丸めたまま、曖昧な笑みを返すのが精一杯だった。日没までに帰ることを考えれば休むわけにも行かず、ただひたすら揺れに耐えるしかない。
「ごめんなさい。もう少し早めに切り上げるか、歩く練習を積んでおけば良かったんですけど……」
謝ってくれてはいるし、断続的に術を掛けることで酔いを緩和してくれてもいるそうなのだが、それでも気分の悪さを断ち切れるわけではないので ある程度は我慢するしかない。

そんなわけで耐えていたグランゼルだったが、不意に「あっ」という声が響いたかと思うと いきなり体が前方向に持って行かれる。どうやらエリザが急に立ち止まったらしい。姿勢を立て直したグランゼルが重い身を起こしてみると、彼の目の前には 困惑のあまり泣き出しそうなエリザの顔が対峙していた。
「あの。元に戻れるかどうか、師匠に聞くのを忘れてました……」
その声は弱々しく、涙声に近い。彼女は後ろに向き直り、何とも言い出しにくそうに掌上のグランゼルと 既に遠いバラムの町を交互に見ているが、何を言いたいかはその仕草から明らかだ。グランゼルは溜息を一つつき、ゆっくりとした口調で諭す。
「戻る必要はない。そのことなら聞いているからな」
「ほっ、本当ですか?」
グランゼルの言葉を聞いた途端に、エリザの視線が彼に収束する。この大きな視線にも幾らか慣れているグランゼルだったが、不意に間近からやられると やはり圧倒されて直ぐに反応できない。その間を誤魔化すために彼は一つ咳を払ってから話し始める。
「話せば長くなるから、後で話そう。それで良いな?」
グランゼルの提案に対し、エリザは「はい」と素直に頷いて応じる。しかし彼女は、柔和な表情もそのままに こう付け加える。
「じゃあ、少し急ぎますね」
「え?」
その突飛な提案をグランゼルが飲み込むより早く、エリザは彼を乗せた掌を丸めて軽く抱き寄せる。そして彼女は今までより速い歩調で歩き始めた。

さっきにも増して激しい揺れに耐えるため、グランゼルは腹に力を入れ身を強張らせる。さらに彼は目を固く閉じ、老魔術師から聞いた話を思い起こしつつ忌まわしい時間が終わるのを待つ。

偶発的な術の失敗が噛んでいるから元に戻るのは難しいこと。
陽光以外にも普通の炎の力を用いても大きくなれる可能性があること。
ただし、実際に確かめるまでは伏せておくのが望ましいということ。

それから。
(次は代理を立てよう。揺れに酔わない者を……)
彼は何度も強く念じていた。


[前に戻る] [次を読む] [トップに戻る]