総てを癒すもの

第1章 「邪教」(3)

作者:ゆんぞ
更新:2003-04-25

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治療に専念しているエリザの横で、グランゼルとイーゼムは彼女に聞こえないような小声で喋っていた。
「法衣からして、多分司祭かと。完全に潰れてましたが」
両手を水平に合わせながらイーゼムが答える。
「司祭、というと親玉だな」
顎に手を当てて頷きつつ、グランゼルは考えていた。蘇生術なんてのは物語上の奇跡に過ぎないと思っていたが、もし本当に司祭を蘇らせることが出来るのならエリザに掛けられた術を解けるかもしれないし、最悪でも儀式の詳細を吐かせるくらいは可能だろう。なによりも彼女自身が この男の蘇生を強く望んでいる。

しかし、蘇生ができたとして、その次はどうするのか。

しばしの思考を中断し、グランゼルはエリザの方を見上げる。丁度 彼女は術に失敗したのか、無念そうに天を仰いでいるところだった。
「少し話をしたいのだが、良いか?」
グランゼルは努めて低い声で尋ねる。
「え? ええ、まぁ」
エリザは一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべつつも彼に応じる。ここで断るほど切羽詰まっていないことを確認しつつ、グランゼルは慎重に問いかける。
「いま、そいつを生き返らせようとしているんだな?」
「ええ。なんとかやってみようと思っています」
その口調から自信は余り伺えないものの、決意だけは固そうだ。これだけの大きさと意志があれば本当にやりかねない。
「で、相手は司祭だな?」
「はい」
「一度おまえはその司祭に操られていただろう」
「……」
「奴を生き返らせて 再びそうならないとも限らん」
「ちょ、ちょっと待ってください」
慌ててエリザがグランゼルの台詞を遮る。声の大きさに二人が顔を顰めるのを見て 彼女は右手で自分の口を塞ぎ、小さな声で言葉を継ぐ。
「それじゃあまるで、私に『生き返らせるな』と言ってるみたいじゃないですか」
「その通りだ」
グランゼルは 非難めいた口調のエリザを睨みつけ、きっぱりと言い切る。その強い態度が彼女の反論を押さえている間に、彼は素早く言葉を繋ぐ。
「それにだ。ここで奴を生き返らせると、結局 二度殺すということになる」
「二度?」
エリザは少し身を乗り出し、グランゼルが強調した部分を問い返す。
「なぜですか?」
「裁きを受ければそうなる。それだけの罪だ」
確固としたグランゼルの言葉に打ち砕かれたかのように、エリザの視線と掌、そして肩が がっくりと崩れ落ちる。

今まで生き返らせることばかり考えていたため、生き返らせることが更なる苦痛を生むなどとは思いもしなかった。もし本当に処刑台に登らせるための生還だとしたら、それは命を弄ぶ拷問でしかない。しかし、どうせ死が確定しているのであれば ここで殺しても同じなのか?
(それは違う!)
彼女は反射的に激しくかぶりを振り、長い黒髪を揺らせる。だが、それではどうするのか、どうするべきかを考えても全く案が見つからず、思考が先に進まない。

ややあって、手元に落としていた視線を少しだけ上げ、エリザはぽつりと言い放った。
「私、どうすれば良いんでしょう」
その問いにグランゼルは視線を下げ逸らす。イーゼムは逆に彼女を見上げて何か言い出そうとしていたが、それに気づいたエリザが彼に視点をあわせると、耐えきれなかったのか 彼は目を伏せてしまう。

答えを知っていそうな素振りに、エリザは思わず身を乗り出して問う。
「あなたは。あなたは どう思いますか?」
巨大な上半身に迫られて一瞬たじろくものの、イーゼムはすぐに顔を上げる。既にエリザの真っすぐな眼差しが彼を捕らえ、離そうともしない。

逃げられない、そうイーゼムは感じ取った。彼が言おうとしていたのは労りの言葉などではないのだが、ここで気休めを言うのは無意味だ。彼は話す内容を頭の中でもういちど構成し、一通り噛みしめてから語りかける。
「俺も、グランゼル様の意見に賛成だ」
「やっぱり……そうですか」
イーゼムは彼女の膝先まで歩み出て視界内に入り、ほとんど真上にある顔を見上げる。
「つらいことだってのは、解る。特にお前にとってはそうだろう」
そこまで言って深く息を吸い、そして一気に言う。
「だが、殺しの罪から逃れるために命を弄ぶのは もっと深い罪になるとおもわないか」
「ま、待ってください」
上ずった声とともに、エリザは身を強ばらせる。
「罪から逃げるって、どういうことですか。私はそんな……」
膝先のイーゼムを睨み、エリザは責めるような口調で反駁する。その右手はいつの間にか固く握られていだが、遥か上から睨む双眸や自分の背丈くらいの握り拳を前にしながらも、なぜか彼はあまり恐怖を感じなかった。

落ち着いた口調で、彼は諭す。
「そんな積もりじゃないのは解る。今は奴を助けたいのに必死で、そこまで考える余裕が無いんだろう」
それを聞いたエリザの首が 僅かに落ちる。ただ、瞳がイーゼムに向き合っていないところから 頷いたわけではなさそうだ。
「そこがお前らしいと言えばそうなんだが……しかし、後で 自分でどう思うかを考えてくれ」
離れていた視線が再び彼を捕らえ、二三度の瞬きの後にエリザは目を閉じる。その真剣な表情にイーゼムは続く言葉を止め、上を向き過ぎて疲れた首を左右に寝かせてからまた見上げる動作を 何度か繰り返す。

長い沈黙の後に ようやくエリザは目を開き、
「分かりました」
と、わずかに震える声で言った。
「祈るだけ……祈るだけなら、構いませんよね?」
膝先のイーゼムと その後ろに控えるグランゼルの両方を目で捕らえながら尋ねる。
「もちろん」
イーゼムは即答し、後ろを振り返る。目があったグランゼルは僅かに苦笑を滲ませながら 斜め上の不安げな顔を見上げる。
「祈るくらい、一々問うことでもあるまい」
「いや、あの……すみません」
エリザは力無く頭を下げる。イーゼムは溜息を漏らし、彼女の前に歩み寄ると 壁のように聳える膝にそっと手を触れる。見上げると、案の定というか 彼女は次の言葉を待つかのように彼をじっと見ている。
「まぁ、落ち着け。みんなお前を信じているから、きっと」
エリザは驚いた様子で目を見開き、自分を指さして問う。
「信じてくれるんですか、この私を?」
今度はイーゼムが驚く番だった。彼女の巨躯と人を殺めた罪を指しているのは解るとしても、こんな問いを発するまで追いつめていたとは……
「何を言ってるんだ、当たり前じゃないか!」
イーゼムは慌てて怒鳴る。それと同時に拳で『壁』を叩いていた。
「お前は何も変わっちゃいない。安心しろ」
膝を叩く拳はエリザにとって余りにも弱く、怒鳴っているはずの声も小さい。だが、確信を持った口調と言葉は大きさの差を超えた力で彼女の内に響く。
(信じてくれるんだ……)
素直にそう思えた。こんなに大きな自分を、人を殺めた自分を、彼等は信じてくれる。何も変わっていないとさえ言ってくれる。

力が抜けたかのようにエリザの口から長い溜息が漏れ、頭が垂れる。暖かい風を受けて身構えるイーゼムの背中に彼女は右手でそっと触れ、ぽつりと言った。
「ありがとう」


エリザは血塗られた法衣だけの亡骸を膝の上に置き、手をつくって軽く目を閉じる。そして朗々とした声で祈りを捧げ始める。大きな声でありながら どこか穏やかな調べに、作業に戻っていた グランゼルをはじめとする兵たちも思わず手を止めて彼女の方を見やる。

鎮魂を祈るのは本来なら聖職者の仕事だが、治癒術師が関わることも多い。自分の無力さと 残された者の怨緒さえ籠もった視線を受けて祈る辛さは相当なもので、こうやって祈る毎に 打ちひしがれたことをつい思い出してしまう。それを受け止めてこそ一人前だと師匠からは言われているのだが……。

とそのとき、突然 祈っているエリザのこめかみを冷たい両手が掴んだ。
(!)
反射的に震えてしまうほどの異様な感触。辺りを見回してみるが、その光景に変化は無い。エリザは再び目を閉じて祈りに入ろうとしたが、そんな彼女の頭の中に今度は低く掠れた声が響く。
(儂に心寄せる時を待っておったぞ……お前は蘇生術の順序も覚えておらんのか)
(えっ?)
それは紛れもなく司祭の声、それも直接響く「心の声」だった。初めて聞くそれに彼女は驚き目を開くが、目に入る景色が彼の声を聞く支障になるように思えたので 即座に瞼を下ろす。
(まあ、一介の治癒術師には縁遠い術じゃからの。正式な手順は、まず魂を呼び寄せ、その魂から肉体を再生するのじゃ。できるか?)
(はあ。しかし……)
いきなり講釈されてしまい、エリザには生返事しかできない。しかし、蘇生はしないという先程の決断を彼は聞いていないのだろうか。熱の帯び方も含めて怪しいと思う彼女をよそに、司祭の声はさらにまくし立てる。
(出来ないなら儂が代わりに術を行使しよう。
『術にして奇跡』と言われる通り、蘇生は術を越える何かを持つぞ。下手打つとそちらが逆に『呼ばれる』やもしれぬし、摂理を乱す罪を己が御霊に刻むこともある)
(で、でも。生き返ったとして貴方はどうするんですか?)
やっと割り入ったエリザの問いだったが、
(案ずるな、このまま処刑台に向こうても構わぬ)
司祭は強固な口調であっさりと即答する。
(さあ代われ、お前の魔力と御霊を儂に委ねよ)
(!!)
エリザはみたび目を見開く。熱の入った講釈や二度死ぬことも厭わぬ姿勢の訳がやっと解った。即座に彼女は身を引き 宙を睨みながら両手で耳を塞ぐが、それでも司祭の声は くぐもるどころか一層はっきりと強く聞こえてくる。
(なぜ拒む? お前にとっても悪い話ではあるまい)
目を固く閉じても、体を強ばらせても声は緩まない。
(何を迷っておる?! さあ、代われ!)
遂に発した怒鳴り声。その声は強い木霊のように エリザの頭の中で何度も何度も響く。更に何か得体の知れない冷たいものが彼女の首筋に触れ、そこから肩へと伝わり……

「やめてっ!!」
エリザは遂に首を振って叫んだ。
彼女の正面で様子を伺っていたイーゼムは またもや空気の振動をまともに受けてしまい、後ろに数歩よろめいて尻餅をつく。作業をしていたほかの連中も一斉に彼女の方を向く。
「あっ……ご、ごめんなさい」
エリザは座ったまま上半身を一杯に屈め、イーゼムのすぐ上から様子を伺う。消耗こそ激しいものの気を失ってはいないようで、彼は差し伸べられた指を借りてどうにか立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
「だっ……」
思わず怒鳴り返そうと上を向いたイーゼムだが、彼の顔と変わらない大きさの潤んだ瞳に相対する。その目を見るだけで彼女が本気で心配していると解ってしまい、怒る気も失せてしまった。
「叫ぶ時は何か言えよ……」
代わりに彼は呟く。
「奴に呼ばれたのか?」
「ええ。それと何か入り込まれるような感じがして、それで思わず……」
ゆっくり身を起こしながら エリザは訥々と応える。申し訳無さそうに眉の下がった顔が遠ざかるのをぼーっと見上げていたイーゼムだったが、いきなり彼の腰辺りに何かが巻き付いたかと思うと そのまま一気に持ち上げられる。気づけば彼は暖かい両手に包まれ、心配そうに様子を伺う瞳と再び対面していた。
「ごめんなさい。あなたを何度も傷つけてしまって」
か細く震える声と、鼻をすする微かな音。半ば閉じた目からは今にも涙がこぼれそうだ。胴体より太い指で軽々と掴み上げておきながら、この気弱な態度。視界一杯に広がる泣き顔を前に イーゼムは溜息をつくしかない。
「解ったから、泣くな。それよりすることがあるだろ」
苦笑さえ浮かべながら彼はゆっくりと諭す。
「せっかく奴の誘惑を退けたんだ。他の連中は治してやれ」
「あ、はい。そ、そうですね」
イーゼムを包む手を膝まで下ろし、宙を凝視して一呼吸。もうあの声は聞こえてこないが、それでも彼女は目を閉じて心の中で強く念じた。
(罪を負う覚悟なら出来ています。それでも信じてくれる人がいるから。
……だから、貴方に私の御霊を委ねるわけには行かないんです)
そして、ゆっくりと目を開けてみる。

幸いなことに、返答はなかった。

下を見ると、イーゼムの問うような表情が目に入る。エリザは もう大丈夫と言うかのように微笑み、軽く頷いた。


その後の治療は順調――というよりも、普通では考えられない速さで――進んだ。致命傷を負っていたはずの兵たちでさえ 彼女の治療によって次々と意識を取り戻したのである。

肉体が残って魂が抜け切らない限り 原理的には高度な治癒術で対処できるが、重体の患者一人を治療するだけで疲れ果てるのが常だ。何人も立て続けに治癒できるようなものではない。
「本当に凄い威力だな」
「ええ」
感心さえしているグランゼルに エリザは満面の笑みで応じ、さらに右手を軽く握って言う。
「全然疲れないんです。まだまだ行けますよ」
(……もう全員治療しただろう)
グランゼルは呆れたような笑みを浮かべつつも、治療できることを心底喜んでいるエリザを前にして言い返す気にはなれなかった。

回復した兵たちを連行のために縄で繋ぐ間も、抵抗はなかった。治療の前に両手を縛られている上に 幽閉していた治癒術師が桁外れの巨人となって見下ろしているのだから、当然と言えば当然である。赤の魔法戦士も両手をねじり上げられたうえに目隠しまでされているため、手の出しようがない。ただ、毛髪の縄はすぐに消えてしまったので、天蓋の布を割いて撚ったそうだが。
「じゃあ、帰りましょう」
全員が集まった頃合いを見計らってエリザは兵達の側に右掌を降ろす。彼女にとってはそっと降ろしたつもりでも、体温を含んだ暖かい風が周囲の者達を撫でる。掌の広さは一間四方で 段差は一尺から二尺くらい、重さはどのくらいあるだろうか。
「乗れってことか?」
いち早く意図を察したイーゼムが上を向いて問う。
「ええ、そのつもりですけど……」
答える言葉をそこで区切り、エリザは改めて集まっている兵たちと掌の大きさを比べてみる。彼女から見た兵たちの肩幅は七~八分ほどあり、十人近い鎧の男を乗せるのは たとえ立たせたとしても難しそうだ。
「ちょっと、手狭みたいですね」
残念そうに漏らす。
(いっそ、もっと大きければ良かったのかなあ)
理想は十人を座らせても十分に余裕のある大きさだ。とすれば今の倍くらいの大きさが必要になりそうだが、そうなると人の五~六十倍ということになる。今までも人の体を持ち上げたりする際には注意が必要だったが、これが一寸強にまで縮んでしまうとなると更に慎重な扱いが要求されそうだ。そんなことを考えていると不意に膝や手の甲を擦る奇妙な感触があったので、エリザは考えるのを一旦止めて膝先に視線を戻す。すると……

さっきの半分位、身の丈一寸ほどに縮んだ兵士たちが皆一様に彼女を見上げていた。
「あれ? 皆さん、どうして……」
言いかけて科白と思考が止まる。そのまま瞬きを二三度。
「って、私が大きくなったんですか?」
彼女を見上げている頭の幾つかが縦に振られ、一人が半ば笑いながら大声で応える。
「どうやったらそんな考えになるんだっ!」


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