総てを癒すもの

第5章 「式典」(1)

作者:ゆんぞ 
更新:2006-07-04

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動力といえば人や牛馬しかない時代において、エリザの巨躯が持つ意味は極めて大きい。常人の百五十倍ということは、単純に計算しても三乗でおよそ三四〇万倍、これは島内五国の人口を一桁上回る数字である。

予想される影響の大きさゆえに、ラファイセットの円卓では彼女の存在を公にするか否かの議論が何度も交わされていた。

しかしその議論は、当事者でありながら議論の外にいたエリザ自身によってあっさりと終結させられてしまう。辺境とはいえ隣国の者にその巨躯、しかも丁寧なことに最大の大きさを見せてしまった以上、隠し立てなど不可能になってしまったのである。


その結果。街の中でエリザは難渋していた。

家さえ跨げそうなほど踵の高いハイヒールと、片足を降ろすだけで左右合わせて指一本の余裕しかない道。
前に置く右足に体重を移してからエリザは左足を慎重に持ち上げ、建物に触れないようゆっくりと前に運んで右足の前に降ろす。安定したところで彼女は大きく息を吐き出して天を仰ぐ。
何度か深呼吸した後に、スカートを後ろに引いて再び視線を足元に転じる。そして息を吸いきったところで止め、今度は左足に体重を掛けてから右足を浮かせる。

片足でいる間は体勢の安定に神経を注がなければならず、また浮かせた足が建物に当たらないようにせねばならない。おっかなびっくりな動作に加え不安定さと緊張でどちらの足も震えており、もし見てる者がいれば恐怖を感じることだろう。しかも本番では街道を人々が埋め尽くす予定である。例えばもし足元に人が出てきたりしたら、対処出来るのだろうか……。

そんなことを考えている時に 問題は起こるものだ。震える左足が僅かに動いたのをきっかけにエリザは平衡を崩してしまう。何とか腕を振って持ち直そうとするが間に合わず、遂に彼女は右足を通り沿いの家に突っ込んだ。

三寸(九センチメートル)ほどのヒールはその下にある家を屋根から地面まで一気に串刺しにし、爪先に掛かる重みは隣の家を完全に押し潰す。更に潰れた家からは粘土が溢れ、それを受けた近隣の数軒は粘土で繋がってしまった。

やってしまった。今日こそはどうにか失敗せずに終えるつもりだったのに。
ため息を漏らし、エリザは振り返る。
「何とかならないんでしょうか。せめてこの靴か、大きさのどちらかだけでも」


巨大な治癒術師の存在を隠すことが出来ない以上、島内の王たちを呼び寄せて大々的に広めたほうがよい。その方法が、正装で巨大化して王都の中を行進するというものだった。

ラファイセットに入った翌日にその話を聞いたエリザは、多少迷ったものの結局その日のうちに提案を受け入れた。自分が原因である以上は断れず、また貴婦人のようなドレスをあつらえて貰えるとあれば断る理由もない。

ただ彼女にとっての誤算は、貴婦人の着用するハイヒールが歩くにも苦労する代物であることと、町の目抜き通りが中途半端に広かったことである。その幅はおよそ十間(約十八メートル)、市を立てつつ馬車を行き交わせられる広さであり、百五十倍の大きさになったエリザが十分に片足を置ける幅だ。

「まだ三週間あります。それまでには慣れますよ」
エリザより幾らか背の高い妙齢の女性はにこやかに答え、やや視線を下に投じて彼女の側まで歩み寄る。そこまで十数歩、同じくらい踵の高い靴を履いているが城の教育係であるハンナの動作は流暢で、落ち着いた物腰を崩すこともない。
(これなら街道の人達も危うさを感じないんだろうなあ)
一歩ごとに安堵している自分とは大違いだ。エリザの口からつい溜息が出てしまう。それを見てハンナは
「大丈夫ですよ。習熟は早い方ですから」
とやんわり諭す。
「あと、あまり足を上げる必要はありませんよ。家もこの大きさですから」
そう注意しつつ、ハンナはしゃがんで街路沿いの家に手を摘まみ上げる。百五十分の一の縮尺で作られた粘土の家は一辺が一寸半(五センチメートル)ほどで、高さは彼女の爪先より少し上、幅も指三本分ほど。掌に乗せて転がすのにちょうど良い大きさだ。
「本当に小さいんですね」
転げた粘土細工の乗った掌をエリザの方に見せ、ハンナが言う。
「それだけ貴方が大きいというべきかしら」
「あまり『大きい』って言わないでください」
エリザは弱々しく抗議するのがやっとだった。


それからしばらく、昼は治癒術師として周辺の町や村を回り、夜は歩行や御辞儀など一連の動作を練習する日々が続いた。訓練は最初こそ難航したが、ハンナの言ったように 一週間経つころには町中を危なげなく歩けるようになり、更に一週間後には一通りの動作ができるようになっていた。

ただ、いくつか順調ではないこともあった。一つは普段の更に数十倍の大きさになるという悪夢を何度か見せられたこと。元々は ある司祭の術が原因なのだが、これをローンハイム師匠に報告したことで問題が拗れてしまう。
「それは名案じゃな」
感心した風に頷くローンハイム。予想外の反応に面食らいつつもエリザは「どこが名案なんですか」と問い詰めるが、師匠は動じる様子も無い。
「火の絡む災いがあれば、おそらく同じことが起こるぞ」
ゆえに夢を見ることで備えるのは有用。そう言われてしまってはエリザに反論の余地は無く、自分を納得させることで後悔の念を抑えるしかなかった。

もう一つは、練習のためということで昼にもハイヒールを履いてみたものの、それが幾つかの問題を引き起こしてしまったこと。

問題というのは、まず街道がエリザのヒールの重みに耐えられなかったことである。特に石畳のない街道を普通に歩くと深さ一~二尺の穴が出来てしまうため、爪先立ちで歩かざるを得ない。また、既に穴を穿った道は後日彼女の手で埋められるまで まともに通ることさえ出来ない有様だった。石畳が敷かれた道は軽い凹凸や罅(ひび)で済んだが、式で彼女が通る予定の道は強度を見直され、踵が降りる場所を中心に石を増し敷きすることになった。

もちろん、この工事もエリザが担当した。まず元の石畳を剥がし、代わりに石を積み上げる。その石を爪先で踏んで均し、ある程度の高さになったら足掛かりの付いた棒を使って石突きで更に沈めていく。そして最後に元の石畳を敷きなおせば完成となる。これだけなら彼女にとっては簡単な作業だが、問題は周囲に家や野次馬までもが密集していることだ。石を飛ばしたりしないよう慎重に進めなければならず、結果として非常に神経を使ってしまった。また、自分の体重に対して感嘆の声が上がるというのも エリザにとっては良い気分ではなかったようである。

もう一つの問題は、悪戯坊主どもが踵の下を潜る遊びを思いついたことだ。
市街の外ではエリザは三十から四十倍の大きさになっているため、靴裏によるアーチの高さも一丈を超える。子供は普通にくぐれる高さであり、年中遊び相手に事欠く彼らにとっては格好の的だ。もちろん、普段から死角に気を使っているエリザにとってはたまったものではないのだが、度胸試しのつもりでいる子供たちは何度注意しても聞きはしない。
手を焼いたエリザは、ついに反撃に出た。
「そんなに度胸試ししたいなら、お姉さんがいいとこ連れていってあげるわ」
平静を装いつつエリザは悪童たちを摘み上げ、村外れにある大木の天辺に置き去りにしたのである。
「恐くなんかないでしょ? だから日が暮れるまで存分楽しんでね」
最初は提案に目を輝かせ、我先に枝へと飛び移った悪童たちだったが、木の高さはおよそ十丈(三十メートル)余り。さらに枝や幹までも風で揺れる状況では そう長く耐えられるものではない。一刻半の後に救助されたときにはエリザの胸の中で泣き出してしまい、彼女は日が暮れるまでずっとあやし続けなければならなかった。

「というわけで、色々大変だったんです」
疲労の色も隠さず報告するエリザだったが、聞いているハンナの方は平然ととしたものだ。
「ですが、本番でも同じようなことがあるかもしれませんよ。沿道の人達からは あなたの靴しか見えないわけですから」
そう言ってハンナは自分の靴を脱ぎ、左手で拾い上げる。
「百五十倍となると、人の大きさはこの位ですよね」
右手の親指と人差指を靴の爪先に添え、わずかに開いて見せる。その間隔は三~四分(九~十二ミリメートル)ほどで、爪先の高さの半分以下。もし側に人が居るとすれば、爪先でさえ見上げる大きさになるだろう。さらにハンナは右手の指を踵の方に動かす。
「そうなると、踵なんて城の柱くらいに見えるんじゃないかしら」
他人事だと思っているのか、彼女の表情は楽しそうだ。しかしそれとは対照的にエリザの表情は沈んでおり、気づいたハンナは慌てて言葉を継ぐ。
「何にせよ、踵を真上に上げるようにすれば大丈夫ですよ。体勢はもう崩さないのですから、ゆっくり動けば良いんです」
「はぁ……」
反応は鈍い。原理上はその通りだが、何かあった時の被害が大きすぎるのだ。
「式は十日になりましたから、練習する時間はまだあります。心配する暇があったら練習しましょう」
そこまで言われてしまっては、エリザも同意せざるを得ない。渋々頷いた彼女は右足を半歩引き、スカートの両裾を摘まんでお辞儀する。
「それでは先生、よろしくお願いします」
「はい」
ハンナも靴を床において履く。だがそのとき思いついたことを、彼女はつい漏らしてしまった。
「そうだわ。ヒールに彫刻とか入れれば面白いと思いません?」
「思いませんっ」
即答である。


式典は夏至祭と重ならないよう、初夏月の十日とされた。そのため夏至祭が終わっても各国の王や大使がラファイセットに入り始め、街は活気の途切れる暇もない。

治癒術師のエリザにとっても多忙な日々となる。祭りは混雑のため怪我人が多く、それが一段落すると今度は各国の賓客を国境まで迎えに行くよう要請を受けたからだ。彼女の大きさはとかく疑いを持たせがちであり、疑念を晴らすためには最初に直接会っておくのが望ましい。そう説明されては断れようなく、渋々ながら承諾するしかない。

やんごとない方々相手に緊張を強いられるため最初は乗り気ではなかったエリザだが、しかし実際に会ってみるとそれは杞憂であり、それどころか逆に面白いとさえ思うようになる。
王や大使たちは一目でそれと分かる豪華な衣装を纏い 威厳を漂わせているが、大きさは普通の人と何ら変わりがない。対するエリザは平凡な治癒術師の装いのままだが、どんな建物も及ばぬ圧倒的な大きさ。どちらがより緊張を強いられるかは明らかであり、また相手が冷静でないと分かれば逆に落ち着くものだ。

実際、エリザには動向を観察する余裕さえ持てていた。例外なく彼らは畏怖に似た感情を持っていたが、その状況下で取る態度は三者三様だ。動揺や驚きを隠さない者、すぐ立ち直って冷静に対応する者、妙に突っかかる態度の者。彼らの反応に特徴がよく表れており、エリザにとっては王たちの性格を掴む材料であると同時に密かな楽しみでもある。

彼女が最も気を払う点は、このあまりに滑稽な構図が王や使者たちの尊厳を傷つけないよう振る舞う必要があるということだ。そのため、エリザは簡単に自己紹介したあと、持参した箱に乗って貰う前に質問を促すようにしていた。
「疑問に思ったことは、何でも聞いて下さいね」

返ってくる質問も十人十色であった。
「なぜそんなに大きくなったのか?」
「食糧等はどうしているのか?」
「百五十倍以上にはなれないのか?」
「ここでその大きさを見せてくれないか?」
これは、まだ若い東の王。オーヴェンドラットから話は聞いているようだが、それでも聞くと見るでは大違いだと素直に驚きを表していた。質問の内容も同様で、答える側もつい率直に答えてしまう。エリザが気づいた時には、火の災いで百五十倍以上になりえることまで言ってしまった。ただ最後の要求に対しては、災いをここで見せるわけにはいかないと断ったが。

その結果から対話の主導権を渡すのは危険という報告がエリザからあがり、以降はローンハイムも同行するようになる。なお、質疑応答そのものを取りやめる案も彼女は出したのだが、そちらは却下された。相手の疑念を晴らすためには必要な応対であり、また質問自体に彼等の思想が反映されているという理由からである。

「その大きさで今は何をしているのか?」
「その大きさなら、かなりの重量を扱えるのではないか?」
「露天掘りの鉱山がある。来ないか?」
これは高地連合の王。ずんぐりした体型と濃い髭が特徴的である。この体格差にも関わらず鉱山への誘いは熱心かつ強引ですらあり、曖昧な答えを返していると鉱山労働の苛酷さを述べ始める始末だ。
「ここまで厳しい労働に従事している我々を見捨てるのか? それだけの力を持ちながら」
良心に訴えかけられ、エリザは何も言い返せない。だが幸いなことに ローンハイムはそう易々と引き下がる相手ではなかった。治癒術師として本分が最も重要であることを説き、治療を求める声は普遍であるため今ここで判断するのは双方にとって危険であると応酬する。
結果として、到着後に他国と調整の上で訪問日程を決めるという穏当な線に落ち着いた。
(あなたが居なかったら、このまま誘拐されていたかもしれません)
エリザはほっと胸をなでおろし、師匠に心話でそう語る。それに対し、ローンハイムは得意げに髭を撫でながら こう返した。
(馬鹿な。普通なら お前がする方じゃろう)

「どれくらいの物を持ち上げられるのか?」
「兵を相手にしたことはあるか?」
「投石機や城石弓で傷つくのか?」
「何人ぐらいの兵を追い払うことができるか?」
これは南の国の王。余りにも露骨に戦を匂わせる質問が多いため、業を煮やしたエリザは反撃に出る。
「意図は存じませんが、私は癒し手です。戦には絶対に加わりません」
家ほどある顔で間近から睨み、はっきりとした声で釘を刺す。それだけで王は言葉を失い、しばらく無言のまま顔を赤らめ、やがて力無く頷く。その急変ぶりは彼女にとっても予想外だったので、すぐに彼女は できる限り丁寧な口調で尋ねる。
「そもそも、どうしてそのような質問をなさるのですか?」
前の脅しが効いたのか、それとも本来の性格なのか、王は率直に意図を語り始めた。南の王都は島内髄一の良港であるため大陸の干渉を受け易く、防衛には兵力が欠かせないのだという。
だから王都に滞在だけでもして欲しい。そう王は頼んでくるが、ある程度の正当性があるとはいっても野心的な王の依頼を直ぐに承諾するのは無理な相談だ。
「いずれ訪たいと思いますが、訪問と滞在は別です」
やはり、後日訪問するという回答に収斂した。

「足が当たれば城壁も壊れるのではないか?」
「何か失敗等したことはあるか?」
「その際の被害は如何ほどか?」
「南の王は何と言っていたか?」
これは西の国王。やや線の細い初老の紳士で、運ぶ際は殊更に注意を要した。発した質問も彼女や南の王への懸念に基づく内容ばかりで、南の王に釘を刺した事実を伝えても 安心しきれていない様子は王都に着くまで遂に消えることがなかった。
(南は歪んだ正義、西は疑心。厄介じゃな)
ローンハイムが心話で語った寸評である。エリザが同意したのは言うまでもない。


王たちをラファイセットに案内してからの数日は ほぼ普通の生活が続いた。王たちの間でいろいろと会議が持たれており、その中でエリザのことが議題にのぼっているのは確かだが、焦点であるはずの彼女自身が会議に関わる点は少ない。昼に挨拶がてら多少の質疑応答があり、夜に師匠から簡潔な報告が寄せられる程度だ。エリザとしても、会議で居心地の悪い思いをするよりは荷役なり治療なりで普通に生活していた方が気が楽だし、無茶な要求があっても突き返す積もりでいたため特に問題とは感じていなかった。
幸いなことに報告も式典の進行に関する内容が主で、無茶な要求は特に出ることもなかった。ただ一つ彼女を戸惑わせたのは、何らかの位階に就く意志を問わえれたことだ。諸国を巡るのに適した役を用意していると言うものの、どういう役なのか問うても「王達しか知らない、式で明らかになる」という曖昧な返事。そのためエリザも明確な回答を返すことができない。
「分相応で、本分に支障がなく、訪問先の方々に喜んで頂けるなら拝領します」
方々と相談した結果である。


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