総てを癒すもの

第3章 「再会」(2)

作者:ゆんぞ 
更新:2002-10-21

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四半里先にある街壁も、エリザにとっては二十間先にある衝立でしかない。高さや揺れに慣れない乗客もいるため極力ゆっくり歩いたが、それでも壁の手前まで来るのはすぐだった。

街壁の高さは彼女の腿くらい、四丈といったところだろうか。その遙か上から街を一望すると、彼女の住んでいるリーデアルドに比べて建物が密集しておらず 意外と街の奥まで見渡せること、そのいずれの通りにも人影が全く見あたらないことが判る。前者は西方開拓のために拡張した経緯から、そして後者は未知の巨人に対する自然な反応といえよう。
「うーん、どうしましょう」
エリザはつい掌上の二人の方を向いて尋ねる。
「どうするって、どうするんだ」
グランゼルが即座に問い返すと、エリザは少し考えてから答える。
「えっと……いえ、そのままだとまずいので、挨拶とかした方が良いと思うんです」
「まあ、好きにしろ」
苦笑いを浮かべて答えるグランゼル。それで住民の態度が変わるとは思えないが、望むなら好きにさせるのが一番だろう。

エリザは姿勢を正し、街の目抜き通りに真っ直ぐ向き合う。家々の鎧戸から自分の動向を伺っているであろう住民の不安を少しでも取り除かなければならない。彼女はそう考えていた。
「初めまして。西のリーデアルドから来ました、癒し手のエリザ=トーランドと申します。先日はご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
そこで一旦頭を下げると体の動きに合わせて掌も上下してしまい、 乗っていた二人が慌ててエリザの指にしがみつく。気づいた彼女は指を曲げ、二人が無事落ち着くのを確認してから街に視線を戻す。やはりこういう多数の目を受けての挨拶は緊張するものだ。一旦深呼吸し、やや俯きながら挨拶を続ける。
「そこで……その、お詫びといいますか、出来れば皆さんの治療を請け負いたいんですが……」
街からの反応はない。エリザは不安そうな表情で掌の二人を見やる。
「このまま 街に入っても良いんでしょうか?」
「構わんだろう、道幅は十分にあるしな」
ブラドゥはそう答え、そして「西ではどうやってたんだ?」と尋ねる。
「一度街壁を跨いだ後は、できるだけ小さくなって街の中を歩いていました。リーデアルドは狭いので、通れる道はあまりありませんでしたが」
「なに? 小さくもなれるのか」
エリザの答えに対し、つい怒号に近い大きな声がブラドゥの口から出てしまう。
「ならなぜそうしなかった?!」
「すっ、すみませんっ」
びくっと肩を震わせるエリザ。その動きによって再びよろめき転びそうになった二人を、彼女は指で支え直す。
「小さくなると凄く暑いので、余り長く居られないんです」
小さな声で答えながら、彼女はブラドゥの表情の変化を伺っている。怒鳴られて縮こまっている子供にも似た仕草だが、怒鳴っている側は文字通り彼女の掌に立たされている上に、彼を見る怯えた瞳も直径半尺はあろうかという大きさだ。気弱な様子とは裏腹の圧倒的な存在感に、ブラドゥはつい苦笑と共に溜息を漏らしてしまう。
「怒鳴って悪かった」
ブラドゥは柔らかい口調でそう言い、一呼吸おいて言葉を継ぐ。
「特に治療を要する者が中央の治療院に預けられているから、そこにまず行ってくれ」
それを聞いてエリザの表情も緩み、返事と共に頷く。
「で……場所は どちらですか?」
「んー、中央広場から右に行った、南広場沿いだ。あの白い建物、みえるか?」
質問に対し ブラドゥはそう答えながら真正面を指さし、それを右にずらす。
「はい、わかりました」
エリザは頷き、そっとしゃがんで 掌上の二人を街壁の上に移らせる。少し離れて貰うように言ってからスカートの裾を上げて街壁を跨ぎ、そして力を抜いた立ち姿勢で目を閉じる。

すると、街壁の三倍はあったはずの彼女の巨躯が、あたかもそれが自然な営みであるかのように音もなく縮み始める。街壁の二人だけでなく通りの眼が呆然と見つめるなか エリザは何事もなかったかのように前の半分くらいの大きさにまで縮むと、くるりと振り返って膝に手を当て軽く屈む。そうすれば丁度二人の正面に顔が来る案配だ。
「じゃ、行ってきます」
微笑みながら壁の上の二人にそう言って振り返ろうとするが、エリザは不意に視線を右前方の家に止める。間近で見ると鎧戸が微かに開いており、そこから彼女を伺う視線と目が合ったからだ。

しかし、見られていると解った途端に、その鎧戸は小さな音を立てて閉まってしまった。それに続く 震える声と速い足音。怯えている人に何か声を掛けようとエリザは思ったが、適切な言葉が咄嗟に思い浮かばない。暫し悩んだ末、彼女は極力柔らかい声でこう言った。
「怖がらないで下さい。覗いてたからって怒ったりしませんから」
その様子を街壁から見ながら、今度は弟をあやす姉のようだとブラドゥは思っていた。


言われたとおり、エリザは目抜き通りを中央広場まで進み、右折して南広場まで歩く。通りや広場はどこも無人だが、脇の小さな家々から来る怯えた心というか気配のようなものを彼女は感じとっていた。どうにか彼等の不安を取り除いてあげられないかと考えるものの、話し掛けることはおろか、気づいた素振りを見せるだけで先刻のような反応が来るのは明らかだ。もどかしさを感じながらも、エリザは視線に気づかない振りをして慎重に歩を進めた。

南広場の周囲で一軒だけ扉を開けている白壁の建物、それが治療院であることはエリザにもすぐに解った。扉の中には恰幅の良い年齢四十ばかりの治癒術師の女性が控え、窓枠に手をついてじっと見ている。エリザが軽く会釈すると その女性も頭を下げ、彼女の方から先に話しかけてきた。
「挨拶は聞きましたよ。エリザさん、で宜しい?」
「あ、はい」
「私はフレイア。しかし、あんた本当に大きいんだねえ」
自己紹介もそこそこに、心底驚いたような声を上げる。エリザにとっては何度も聞いている台詞だが、威圧や恐怖を感じている様子でないのは彼女にとって意外であり、そして救いでもあった。ゆっくりと腰を下ろしつつ、「ええ、まぁ」と はにかんだ笑みで応える。
「ま、いいや。まずは患者さんだね」
もう少しエリザの大きさに言及するかと思いきや、フレイアは一方的に話を切り替えてしまう。その話によれば、患者を症状の重い順に並べたので その順に治療して欲しいとのことだった。
(私が怖いから、切羽詰まってる順に決めたのかな……)
訝ってもみるが、もしそうなら なおさら意向に従うべきと考え、エリザは申し出を快諾した。

それを受けて担架に乗って出てきた最初の患者は、ほぼ全身を包帯で巻かれた子供だった。顔もまた殆どが包帯に隠れているが、固く閉じた目だけでその子供が何を感じているかが痛いほどに解る。
「人の流れに押し潰されたんだ。打撲と骨折、あと内臓も少し破損してるかもしれない」
フレイアが淡々と説明する。彼女の方を見ると、傍らに女性が一人 不安そうな表情を浮かべて立っている。その女性が誰であるかは直ぐに察しがついた。

エリザはその女性に向かって頷くと おもむろに担架の下に左手を入れて支え、ゆっくりと胸の高さまで持ち上げる。掌にすっぽり収まる小さな体は強ばって力無く震え、熱を持ち、何カ所かに板が添えられている。その痛々しい姿は自分の無策による結果であり、震えは物言わぬ抗議。そう思うと、改めて後悔の念に苛まれてしまう。
「ごめんなさい。もう大丈夫だから……」
そう囁いて、エリザは震える小さな体をそっと左胸に抱き寄せる。最近は 神経を集中させれば相手の命の灯を感じることが出来るようになっていた。その灯火は優しく包まないとすぐに消えてしまいそうなくらい弱々しかったが、彼女の大きな鼓動を聴いているせいか恐怖は少しずつ和らいでいるようだった。エリザはそのまましばらく待ち、頃合いを見計らってから治癒術を施す。相手の状態がわかるから、以前のように様子を伺いながらおっかなびっくり術を掛けることもない。小さかった命の火は、徐々に元の輝きと温もりを取り戻していった。

治療が無事に終わると、エリザは胸から子供を離して尋ねる。
「痛いところはありませんか?」
相手が元気に頷くのを見て微笑み、エリザは左手をゆっくりと下ろす。その途中で不意に、側まで駆け寄っていた母親に目がとまった。今にも泣きそうな表情で、背伸びして彼女の方へ両手を一杯に伸ばしている。エリザは母親の前に左手を下ろすと、真っ先に我が子を抱きしめた母親の背中に右掌をそっとあてる。
「ひっ?!」
突然のことに母親は短い悲鳴を上げ、子供を庇いながら身を翻す。その反応に驚いたエリザも咄嗟に手を引いてしまう。
「ご、ごめんなさい」
反射的にそんな言葉が口をついて出る。言い終わってからようやく、エリザは自分の行動が恐怖を与えてしまったことに気づいた。引いたままの右手を下ろし、代わりに自分のしようとしていたことを伝える。
「あなたも、疲れていると思ったんです。だから癒そうと思って……」
その説明で真意を理解したのか、母親は何度も頷いて一歩前に出る。エリザは右人差し指の腹を彼女の前に差し出し、手を置いて貰うのを待ってから治癒術を施した。

両者の治癒が終わり 改めて礼を言う母子に、エリザは少し戸惑い気味の微笑で応じた。彼女にとってこれは最低限の償いであり、礼を言われるようなことではない。

視線をフレイアの方に戻すと、彼女の傍らには既に次の患者が用意されていた。担架に乗ったその男は、両足と背中に添え木があてられている。
「脱出しようとして市壁から落ちたらしくてね、両足と腰を折ってる」
フレイアの説明を聞いたエリザが拾い上げようとしたところで、不意に担架の男が口を開いた。
「あー。さっきの、俺にもやってくれな……うぅ?」
最後まで台詞を言い終わらないうちに、フレイアが彼の頬を抓りあげていた。
「まずはこの減らず口を治さないとねえ」
悪戯っぽい、本当に楽しそうな口調でそう言うと、助手に二言三言 指示を出す。それを受けて担架は建物の中に帰ってしまった。
「え? えっと……」
『さっきの』の意味さえまだ解していないエリザには、この展開についていけない。
「いいんですか? さっきのひと」
「いーんだよ。後回しだ」
おずおずと尋ねるエリザに、フレイアは即答する。

次は、窓と人の間に押されて肋を折った兵士だった。それから、大荷物持って転倒し膝の皿を割った亭主……。四人目の治療が終わったところで担架は来なくなった。あとは骨折が数人いるだけで殆どは打撲や擦り傷だけという説明をフレイアから聞き、エリザもやっと安心することができた。

緊張が途切れると途端に体が熱く感じる。既に結構な時間が過ぎていたのだろう。今の大きさのままで残り全員を治療できそうにはないと判断し、エリザは遠慮がちに問う。
「すみません。ちょっと、さっきの大きさに戻りたいんですけど、構いませんか?」
突然の申し出に、フレイアは戸惑った様子で傍らの助手と顔を見合わせる。だが先の挨拶で言及していたことを思い出したのか、二三度頷くと彼女の方を向き直って言う。
「構うも構わないも、そうしなきゃならないんだろ? 好きにしな」
「すみません」
エリザは腰を浮かせ、膝を擦りながら広場の真ん中まで下がり、スカートの布地を前に送って座り直す。それから膝を開いて広場から延びる道に向け、さらに後ろを振り返って左右の長靴の爪先が通路に向いていることを確認する。
「じゃあ、あの……驚くと思いますけど、心配しないで下さいね」
前にいるフレイア達だけでなく 周りを見渡しながらそう言い、 両方の膝と爪先に気を使いながら少しずつ自らの念想を伸展させる。始めは膝と爪先が道に掛かる位まで大きくなるつもりだったが、前の三人が 迫ってくる服の裾に対して明らかに怖がっているのが見て取れたので、多少手前で止めることにした。一息つき、さっきの半分近い 二寸程の大きさになってしまったフレイアに声を掛ける。
「終わりました。こんな感じなんですけど……」
戸口のところまで下がっていたフレイアは暫し口を開けて見上げていたが、エリザの台詞に気づいて はっと我に返る。改めて彼女の各部位を見渡すと、膝が織りなす稜線は二階の窓に届く高さがあり、それに挟まれた白い沢に居るような錯覚さえ感じてしまう。腰から更に上にある顔まで視点を上げ、そこでやっと錯覚から解放された。
「間近で見るとまた大きいねえ」
フレイアの口から本当に驚いたような声が出たのは、暫く経ってからだった。心配そうに見守っていたエリザも、その声を聞いてやっと安心する。
「ってことはさ、まだ大きくなれたりするのかい?」
「やめて下さい。街から出られなくなりますから」
フレイアの問いに、エリザは照れ笑いでこたえる。言いながら両足だけでこの広場を埋めて立ちつくす自分を想像してしまい、彼女は慌ててそれを振り払った。


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