総てを癒すもの

第1章 「邪教」(1)

作者:ゆんぞ 
更新:2000-08-22

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邪教の儀式は夜間と相場が決まっているかの如く考える人が多いが、その定義は『彼ら』には当てはまらない。

光の教団。

元々は太陽を信仰の対象とする太古の宗教だったが、『太陽のもとに平等』という教義を歪める一派が台頭して以来、その名は邪教の二つ名で呼ばれ続けている。

今日も小高い丘の上、白日のもとに儀式が執り行われていた。丘は頂上の一角だけ開けており、周囲は森で囲まれている。その森に身を隠しつつ儀式の様子を窺っている一団がいた。
「なんとか間に合ったようだな」
一団の先頭にいる、鎧に身を包んだ男が呟いた。彼は付近の村々を治める領主で、名前はグランゼルという。彼の視線の方向、一町(約百m)ほど先には 二間(三・六m)四方の天幕があり、その周囲を護衛する戦士や弓兵が七~八人見てとれる。天幕に描かれた太陽の刺繍が所属を、そして若い治癒術師をさらった犯人を断定している。

術師のエリザが失踪して四日。捜索は遅れたが、昨日までの曇天が味方してくれたようだ。今はあの天幕の中にいるとみるのが妥当だろう。
「この程度なら十分勝てそうですね、グランゼル様」
傍らにいる初老の男、執事ウォーゼンの言葉に頷き、後ろの兵士たちの方を向いて言う。
「いいな、弓兵はまず相手の弓兵を狙え。最低でも動きを止めるんだ」
長弓を携えた二人が頷き、ゆっくりとした動作で矢を取り出す。
「弩兵はひとまず歩兵を挑発し、半分まで来たら弩で撃ち殺せ」
弩を持つ二人も頷き、杖を差し太矢を装填して構える。
「残りの歩兵は機を見て突撃する」
歩兵の方を一瞥して向き直ると、グランゼルは右手を上げ目標の方向に軽く振った。


弓兵の先制と奇襲が効を奏し 白兵戦に持ち込む頃には教団側の戦士は半分近く倒れていたが、それでもいざ白兵戦になると互角だった。天幕の中にもまだ数人の戦士がいたのである。

目の前の敵が倒れた隙を突いてグランゼルは戦列を脱し、脇を抜けて天幕に駆ける。形勢変更を狙った行動だったが、途中で振り返るも 追い縋る者すらいない。余裕がないのか、それとも天幕にまだ誰かいるのか。
(ええい、ままだっ)
彼はすぐに考えるのを止め、きびすを返して走った。天幕に着くなり、木版を織り込んだ帆布に剣を振りおろす。

しかし次の瞬間、重い拳のようなものがグランゼルの腹を打ち、彼は数歩後ろによろめいた。
「詰めが甘いぞ」
天幕から鎧をまとった男が出て言い放った。暗褐色の鎧を全身に着込んでいるが、胸部に描かれた赤い六芒星が魔術師であることを表している。まだ天幕から詠唱が聞こえる以上、こいつは儀式を行っている司祭ではない。小さなうなり声を上げながらグランゼルはゆっくり剣と盾を構えるが、今度は閃光が彼を襲った。眼前が真っ白になり、思わず彼は数歩のけぞった。衝撃もないのに目が痛い、それほどの閃光であった。堅く閉じているはずの彼の眼前には赤や緑の残像が輝き蠢いている。

その隙を見て魔術師は周囲の状況を探ってみた。戦局は五分、半分が倒れ 残り半分も動きの重さからして疲労困憊といった状況であろう。
(もう一人来るとしても だいぶ後になりそうだな)
彼自身も儀式の準備で疲弊しているため、あまり面倒なことはしたくない。近くに敵弓兵もおらず 詠唱も終わりが近いとなれば、適当にあしらって時間を稼ぐのが得策か。

とそのとき、グランゼルが動いた。


異常なほどの光と熱でエリザは目を覚ました。

起き上がって辺りを見回す。屋根の無い天幕の中のようで、恰幅のよい、太陽をあしらった法衣の男が彼女の前に立っている。
(……誰?)
思い出せない。だが、なぜかその男を見ると奇妙な震えと悪寒が背筋を駆けのぼる。熱さで着ている服が湿気ているにもかかわらずその一方で震えが止まらず、自分自身を抱えるようにしつつ 反射的に後ずさっている。

そんなエリザに司祭は鋭くこう言った。
「汝に命ず、その円内に留まれ」
その途端、わずかに残っていた力も気力も消え失せ、エリザはそのまま腰を抜かしたようにへたり込んでしまった。
「もう術は終わっておるのだ。効果のほどを見せてもらうぞ」
司祭の呟きも 聞こえはするものの、恐怖のため内容を理解することはできない。落とした視線の先には朱で書かれた同心円がある。
「な、なに?……」
その同心円がなぜか凶々しいものに見えてしまい、上ずった声が出てしまう。問おうと司祭を見上げるが目が合うと急に恐怖が増し、すぐに目を閉じてうつむいてしまう。
「安心しろ、贄にするわけではない」
(!)
司祭の言葉で、急に精神が弛緩するのをエリザは感じていた。目を開け司祭を見るが、何故か先ほどの恐怖はない。
「汝に力、我等に奇跡を与えたもう」
(力?言霊?)
すでに考えることができる程度にまで彼女は恐怖から回復していた。自分がこの男と同じ法衣を着ていること、非常に暑い筈なのに汗一つかいていないことにも気づいた。しかし今の状況、以前の恐怖、目の前の男、先の台詞……どうも結びつかない。良くない状況であることは明らかだが、これまでの経緯とこれからの予想がさっぱりわからない。
「それって、どうゆうことですか?」
とりあえず尋ねてみるが、司祭はそれにこたえず、周囲の様子を窺っているようだ。彼女の今の精神状態なら、剣と剣のぶつかる音が聞こえる。
(まさか……戦場?)
なぜ鍔迫り合いの音が聞こえるのか、彼女にはまだ解っていない。
「今に解る。まずは外に出よ」
再び司祭の命令。確かにそうだ、外に出れば謎が解ける……躊躇もなくエリザはそう考えていた。


突然、法衣を着た黒髪の女が何事もなかったのように天蓋から出てきた。天蓋までの三間余を詰めることができず焦っていたグランゼルにとっては、少なからぬ空隙を生むに値する驚きである。そして、その空隙を魔法戦士が衝いた。

がずっという鈍い音。魔法戦士の渾身の突きが咄嗟に構えたグランゼルの盾を貫通し、左二の腕に刺さる。しかしグランゼルは盾を傾けて その剣を無理矢理流し、即座に腰の短剣を抜いて魔法戦士の兜の隙間に……
「やめてっ!」
エリザが咄嗟に叫ぶが、短剣は止まらない。鼻当ての右を深さ二寸ほど刺さり、それをグランゼルは押し下げた。戦士の顔から一気に鮮血が吹き出し、鎧を一層赤く染める。彼はそのまま膝から落ち、うつ伏せに倒れた。それでもなお鮮血は大地を流れる。

魔法戦士を倒し ふと天蓋の方を見やると、エリザが彼の方に向かって走ってきている。なぜか怒ったような表情なのが気がかりだが、とりあえずグランゼルは面頬を上げて迎える。しかし、当のエリザはあと二~三歩のところまで近づくと いきなり腕を突き出し、衝撃弾で彼を付き飛ばす。予想外の力に油断も加わり、彼は本当に軽々と吹っ飛んだ。二間以上は飛び、さらにごろごろと転がる。だがエリザ自身も反作用で突き飛ばされ、尻餅をついてしまう。彼女にとっても予想外の魔力だったのである。
「それがお前の力だ」
いつの間にか彼女のすぐ後ろに立っていた司祭が、低い声で言う。
「大いなる光の力を内に宿す奇跡……術は成功だ」
しかしエリザの方は 術を放った腕が何故か非常に熱く、話を聞くどころではない。そんな状況も知らず、司祭は倒れている魔法戦士を指さし命ずる。
「こいつを癒せ。まだ助かるかもしれぬ」
はいと短く答え、エリザはよろめきながらも起きあがった。治癒術師である彼女にとっては当然のことであり、咄嗟とはいえ さっきなぜあの男を突き飛ばしたのかが逆に解らない。倒れている魔法戦士はなおも血を流しており、顔には全く生気が無い。通常なら諦めるところであるが、何故か彼女には癒せる自信があった。既に冷たくなりかけている傷口に左手で触れ魔力をそこに集中させる。

だがすぐに、エリザは自分の左手が焼けるように熱くなるのを感じた。熱は左腕を駆けのぼり、全身が尋常ではない熱を持ち始める。耐えられず手を離すが、熱は収まらない。それどころか術を中止したにもかかわらず体は熱くなるばかりだ。彼女はうずくまり、苦痛に満ちた呻き声を漏らしはじめる。

しかし、後ろから見ている司祭は冷静だった。彼女の体内で炎を司る霊が強くなりすぎ、均衡を崩したのだろうと分析していた。となれば炎の力を弱めるか、他の元素である地・水・風を補うか……
(どう考えても補う方だな)
結論は即座に出た。これだけの犠牲を払いながら元の木阿弥では意味がない。この女を奇跡として祭りあげることに意義があるのだから。
「落ち着け、私が助けてやる」
司祭はエリザの肩に手を置き 云った。そして立ち上がり、天を仰いで言霊を紡ぎ始める。

漂うもの、流れるもの、全てを包み、満たすもの
堅きもの、重きもの、全てを支え、型作るもの
見えざるもの、無有なるもの、全てを廻し、そして散らすもの
煌めくもの、熱きもの、全てを照らし、力与えるもの

全ての元素の調和相見え、ここに我らが生命有り。
願わくばこの生命に栄えあらんことを……

言霊を紡ぎ終え 改めてエリザの方を見ると、うつ伏せに寝た体勢のまま動こうとしない。しかし規則正しく動く肩が生命の無事を主張していた。とりあえずこれで一段落ついたようだ。周囲を見渡すも 彼の三間ほど前に奇襲部隊の長らしい男が、左方 十から二十間くらいのところに双方の戦士と弓兵が倒れているのみ。残ったのはこの治癒術師の女と自分だけのようだ。改めて視線を治癒術師に戻す。

女が動いた、最初彼はそう思った。しかし何かが違う。全体が放射状に動いているような……
(なっ、……まさか?!)
彼の頭には、滑稽とも言える仮説が浮かんだ。先の術は彼女の中にある四霊の力を等しくするもので、その前の儀式は陽光から炎の霊力を注ぐものだった。

そうか、原理的には有りうる。史実にも原因こそ違うものの 同じ術を行使した記録が残っていたはずだ。
「まぁよい、これも奇跡のうちよ」
司祭は笑みを浮かべ、低い声を漏らす。その目の前でエリザの体は本来の形を保ったまま膨張していった。


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